矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

カテゴリ: 家庭

最近、休日の空き時間に天気がいいとき、わが子とバドミントンをよくする。
交互に打ち合い、そのラリーが何回続くか記録を取っている。
最初はわが子がなかなか打ち返すことができず、5回と続くことがほとんどなかったが、このところわが子も打ち返しがかなり上手にできるようになり、ここのところは10回以上続くことも難しくなくなってきた。昨年には最高記録50回を達成。そして昨日、立て続けに64回、75回と新記録を出すことができた。
バドミントンセットの準備にはそれほど費用はかからない。100円ショップでラケット2本,シャトル一セットで計200円で手に入る。
狭い場所,車の通りの少ない裏路地でもラリーは楽しめる。しかも、ラリーは相手を打ち負かすのではなく、お互いを見ながら協力しあおうとするので、オープンな意思疎通も楽しめる。程よい運動効果も得られる。親子のみならず、夫婦、恋人同士,友人などの組み合わせでも,老若男女,性別,年齢関係なく楽しめる。
バドミントンラリー、おすすめである。

今年も残すところ10日。クリスマス,そしてお正月を迎える季節である。
我が子も今日が小学校の2学期終業式。こどもにとってはワクワクする行事目白押しで楽しい時期だろう。
私も小さい時,若かりしときはそう感じていたものだが。
この年齢になってくると,年末年始の重みというのがだんだん軽くなってくる。
昔は一年の締めくくりと始まりに特別な感情を抱いていたものだったのだが。
これは,人間生きている時間が長くなると,一年間という時間の人生に占める割合がだんだん小さくなるのと関係あるのだろうか。それとも,繰り返し味わってきた年末年始の行事に慣れと飽きが来てしまっているからだろうか。
一年を振り返ったり,来る新年に対する前向きな気持ちがどうも持ちにくくなってきている。
段々生きている瞬間瞬間が平べったく薄くなってきているようにも思う。
それは,時空間や経済規模などを,人生経験をいろいろ経ていく中で大きなスケールでとらえることができるようになった反面,小さな物事に対する感受性が鈍くなってきている副作用なのかもしれない。
いろいろな修羅場を潜り抜けてきたためにちょっとやそっとのことで動じにくくなった,強さのせいか,それとも逆に生きてきた過程で得た強さと引き換えに,繊細で細やかな感性を失ったせいなのか。
平成最後という,ある意味特別な今年の年末。その割には,日ごろのいろいろなことに忙殺されて,軽くて平べったい時間が目の前を通り過ぎていく。こんな形でただいたずらに年を取っていって果たしていいのか。

このブログの扱いとともに,悩むこの頃である。


往々にして人間は,自分の生きてきた時代を絶対化してしまいがちだ。
そのため,特に自分より若い人々の生き方考え方に対しどうしても批判しがちである。
一方で,自分より年上の人々の考え方に対し,「考え方が古い」「時代遅れだ」と否定的にとらえることも多々ある。

もちろん,世代年代を問わず守るべき普遍的な価値観や倫理観というはある。だが,それ以外の部分では,その時代時代で,社会体制や産業体制も異なり,時間や空間等の概念も異なる。それらを,自分の生きてきた時代と異なるからといって一方的に非難・糾弾するのは間違っているだろう。

たとえば,日本が高度経済成長期の時は,「男は仕事,女は家庭」という価値観が当たり前であったが,労働力不足が強く言われる今,この考え方は時代に合わなくなってきている。また,江戸時代までの日本は,武士以外の階級では男女にかかわらず一家総出で家業に勤しんでいた事実もある。

たとえば,世界中で戦争に明け暮れていた時代には,軍隊に従事することが名誉あること,最高の価値観と思われていたが,少なくとも今の,戦争放棄を謳っている憲法を持つ日本では,そのような雰囲気はない。


そして,今流行最先端の職業は,昔は存在しなかった職業であることが多い。科学・技術の発達により産業体制も変わり,職業の形も変わる。タイピスト,電話交換手といった職業は今はないし,明治時代以前はスポーツで身を立てることは考えられなかった。ましてや,YouTuberといった職業(?)は,10年くらい前では想像さえできなかった。

もっとも,現代に過剰に適合することにあくせくし過ぎるのもどうかとは思うが。自分の過去に固執し過ぎず,柔軟な思考で時代時代に対応していきたいものである。
また,年代の違う人々からの時代認識の違いからくる見当違いの批判などについても,彼らの発言の背景を考え,過剰に反応せず,寛容な態度で対応していきたいものでもある。


今日は我々夫婦の結婚記念日。今年で結婚15周年。「水晶婚式」というそうだ。
15年、いろいろなことはあったが、基本的には仲良く楽しく夫婦生活を送れたと思う。結婚5年目にこどもも一人恵まれた。その子も今は小学四年生。月日が経つのは早い。
気付けば平成時代も残り最長8ヶ月弱。私にとって平成時代は、前半が独身時代、後半が家族の時代にあたる。感慨深い。

実は今、仕事の面で、難しい立場に置かれ、今後の人生を左右しかねない厳しい決断を迫られている。そのことで悩み考え込む日々を過ごしている。この状況に加え、台風、地震、酷暑と天災続き、心身ストレスに溢れ、心休まる時がない。

社会の価値観は、その時の情勢により変化する。一方で、個々人の価値観は、その人の育った時代、環境により様々だ。個人が価値観を変えるのは、その人の過去を否定する作業が必要な分、なかなか困難だ。社会の価値観と個人の価値観が異なるときは更に、その葛藤が増す。
これからの人生をどう生きていくべきか、変えるべきことと、変えてはならないことと、正しく判断して、残りの与えられし時間を歩みたいものだ。

こどもはいいな。うらやましい。
おとなは年度末でいそがしい。

今年も今日ではや二週間。すでに一年の24分の一が過ぎようとしている。
一年を一日と考えれば,既に一時間が経過してしまった。といってもまだ残りは23時間はある。

多少遅くなったけれども,今年の私の考えていたモットーをここに発表する。
四つの漢字で『再』,『整』,『備』,『楽』。
『再』は「再開」,「再会」,「再挑戦」の意味を込めた。
この年になると,新しいものへの挑戦よりも,過去に一度挑戦したが失敗したり,時間やお金が足りなかったりで諦めていたことに対して再度挑戦する年としたい。こどもも大きくなり,以前よりは手がかからなくなってきたことだし,少し親でない自分の部分も見直していきたいものだ。
『整』は「整理」「整頓」の意味を込めている。
身の回りの整理整頓をしていきたい。住環境や職場環境などもそうだが,自分の内面についても整えていきたいものだ。余計な事柄に心を奪われることなく,本当に必要なことに精神を集中し,不要不急なもの,有害無益なものは潔く整理していきたい。
『備』は「準備」「備え」の意味を込めている。
自分ももう結構な年齢である。大昔なら老人であったり,この世から完全引退しているような年齢でもある。来るべき次の人生ステージに向け,いろいろな準備を本格的に始めていきたいものだ。また,日常生活の中においても,準備を入念にした上で何事も取り組んでいきたいものだ。慌てて取り掛かり失敗を積み重ねる失態は,この年齢でするのはさすがに恥ずかしいものである。
『楽』は「楽にする」「楽しむ」「楽しませる」の意味を込めている。
物事の進め方を見直し,可能な部分はできる限り楽にするよう合理的な方法を採用していきたいものだ。そして浮いた時間を,自分の人生として大いに楽しみ,また,隣人を楽しませるような過ごし方をしていきたいものである。


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