矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

カテゴリ: 育児

今日はこどもの日。
こどもの日には,小学校1年生の「大人になったらなりたいもの」というアンケート結果がよく新聞紙上などに載る。
男の子だったら「スポーツ選手」,女の子だったら「食べ物屋さん」が1位の常連。
後はその時々の世相の影響を受け,「警察官」「医者」「看護師」「パイロット」「大工」などいろいろな職種が上位に顔を出す。それらを見ると,何をしているのかがこどもにもわかりやすい仕事が上位に来ているのが分かる。これは至極当然のことである。

小学校1年ぐらいだったら,「将来何になるか」を問うのはまだいいが,これを中学や高校になってまで問い続けるのはちょっと違うのではないか。「何になるか」よりも,「何が得意か」「何をすることが楽しいか」「他人のために何ができるか」そして,他人・社会のために「何をしたいか」が重要になるのではないか。
「何になるか」ばかり考えていては,「何かになる」目標を達成した瞬間,本来の仕事の目標を見失ってしまう。
危険薬物に手を染めたり,不要な快楽に現を抜かして,心身を汚し,道を誤ることになる。
また,「何かになる」目標は誰もが達成できるものではないので,失意のままその後の人生を無為に過ごしてしまう危険がある。

例えば「スポーツ選手」。スポーツ選手になることで実現したいことは何か。前人未踏の記録を打ち立てて,人類の無限の可能性を示し,社会に驚きをもたらしたいのか。あるいは,自分の活躍により,自分の属する共同体のメンバーに勝利の喜びを与えたいのか。それとも,単なる自己顕示欲を満たすためだけなのか。それらを満たすには,本当にスポーツ選手にならなければ実現できないのか。他に,自分にもっと適した方法で,それらを実現できる手段はないのか。

そう考えると,もしかしたら,大人になったらなりたいものの選択肢はもっともっと広がるのではないかと思う。この世の中にはこどもの目には触れにくい,価値ある職業はたくさんあるし,また今はまだこの世に存在しなくても,将来新しくできる職業もあるだろう。

こどもたちには,将来の夢は自由に描いて欲しいものである。それと同時に,大人になることの素晴らしさをこどもたちに日頃から伝えていきたいものである。それが最良の「教育」なのかもしれない。机上の勉強だけが教育ではない。

こどもに何の習い事をさせるか。そしていくつさせるか。
これがなかなか悩ましい問題である。
親が習わせたい,あるいはこども本人が習いたいものがたくさんあっても
時間とお金は限りがある。
普段の学校の時間の他がすべて習い事で埋め尽くされてしまうと,
たとえいくら本人が好きでやっていることであっても,消化不良を起こしてしまうだろう。

それに,習い事も,通っている先だけで終わる話ではなく,内容によっては自宅で練習したりすることも必要だ。

習い事に励むことは,たとえその習い事で身を立てることはなくても,生きていく上でいろいろ応用してより豊かな時間を過ごしていくことにつながると思う。が,こどもの時にしか味わえない,自由な時間を,習い事だけで埋め尽くして,窮屈な思いばかりさせたくはないとも親の自分は思う。

理想を言えば,芸術(音楽/美術)系から一つ,体育系(体操/水泳/球技等)から一つを選択して習わせたいものだが。低学年の内は,教室までの送り迎えも親がかりが求められるこのご時世,親の負担も月謝のみならず,体力的にも結構かかる。本当に悩ましい。

小学生の女の子の父親となって2か月半あまりが経った。
それにしても,小学生の親ってこんなに忙しく,大変なものなのだったのだろうか。
毎日の宿題を見る,色々な行事の準備,翌日の登校準備の手伝い。などなどなど。これらを小学校からは親がするように奨励されている,いや実質は指示を受けているといった方がいいか。
しかも学校からの配布物がやたらと多く(日平均4,5種類しかもカラーや上質紙多い),しかも学校教育とは直接関係のない,地域のクラブ活動加入への勧誘やコンサート・観劇の案内など,ビラのようなものも多い。その中に学校からの重要な通知文書が混じっていたりするから,油断ならない。
自分が小学生だったときは,親は今ほど小学生のこどもの面倒を見ていなかったような気がするし,配布物も毎日ではなく,あった日でもわら半紙1,2枚程度だったように記憶している。
しかも,今は夫婦共働きの家庭の割合は増えており,夫婦どちらも忙しい家庭は多いはず。これに加え,PTAその他の負担が加わったら,親をしているだけで過労状態になるのでは。更に,担任の先生などに不運にも恵まれなかったら,目も当てられない状態になるのでは。
昔より通信技術が発達し,産業も高度化し,生活も便利になって本来だったらもっと楽にいろいろできるはずなのだが。

きょうで7さいのおたんじょうびだね。

おめでとう。

このあいだまであかちゃんだとおもっていたけれど

いまではもうしょうがくせい。

がっこうはたのしいかな。

ともだちたくさんできたかな。

べんきょうはおもしろいかな。

きみのせいちょうがぱぱはまいにちたのしみだよ。

すこやかにせいちょうしてね。

つらいこと かなしいことがあったら

どんなことでもはなしてね。

ちからになるから。

ぱぱはきみのみかただから。

おたんじょうびおめでとう。

2015ねん5がつ15にち

今日は子どもの日。この日になると決まって15歳以下の人口が年々日本では減っていることが報道され,少子高齢化を嘆く論調がメディアを賑わす。

私はいつも思うのだが,「少子化」と「高齢化」を一緒くたにして論じるのはおかしいと思っている。確かに,日本全体の人口構成を考えれば,将来国を支える若くて元気な人々が少なくなり,体の機能の衰えた人が割合として増えていく傾向を心配する気持ちは理解はできる。しかし,「高齢化」を問題・否定するのは,人々が長生きすることを否定することにつながるのではないか。人間は生きている限り確実に年を取る,つまり「高齢化」するわけであり,「高齢化」するということは,生き続けてきた勲章であるのだ。「高齢化」を否定するのは「生命」を否定することになると思う。

問題にすべきは「少子化」であるが,これを論じるにも慎重にしないといけない。「今の若い人は結婚しない,子どもを産もうとしない」と嘆く人も少なくないのだが,多くの若者は結婚を希望し,子どもも平均2人は欲しいと思っていることは覚えていて欲しいと思う。希望していても経済的な事情,身体的な理由で結婚・出産をしたくてもできない人も相当数いるのだ。そのような事実があるにも関わらず,人口統計やメディア上の論調に乗じて,今の若者を他人事のように批判するだけでは,若者の心を傷つけるだけで何の解決にもならない。本当に少子化を憂えるのであれば,現在享受している自己の利得を削ってでも,将来への投資としてこれから結婚・出産する世代および現在子育て中の世代への支援に物心両面で回すべきだと思う。

「少子化」が問題なのは,確かに将来の人口構成もそうなのだが,私はむしろ将来に対する国民の不信,諦めの気持ちの表れなのではないかと危惧する。
地球環境の破壊,資源の枯渇,国際情勢の不安定化,治安の悪化,教育水準の劣化,・・・メディア上で流れるニュース報道は気持ちを暗くさせるものばかりである。このような社会に次世代として我が子の生を預けていいのかと不安に思ってしまうのも無理はないと思う。
しかし,どのような時代であっても,人間は知恵を出し合い,協力し合って危機を打開してきたからこそ,今まで人類は生存の歴史を重ね,命のリレーをし続けて,現在があるのだ。かつては核戦争の危機,石油禁輸の危機もあったのに,現にこうして人間は地球上に存在させてもらっている。この事実を忘れずに,将来に対する希望と勇気を持ちつつ,日々自分に与えられた能力を生かして,少しでも社会に恵みと喜びを作り出そうと一人でも多くの人が思い行動していけば,将来は決して暗いものではないはずだと思っている。

今日を以て2014年度は終わる。そして,それは私にとっては,娘が未就学児である時代の終焉を意味する。
もう,明日以降は娘の電車代やバス代は都度かかることになる。それ以外にも,小学生料金が適用されることになり,お出かけや旅行も費用がかかるようになる。
小学校に入れば,平日においそれと子供連れで遠出することも難しくなる。それを見越して,今まで国内外あちこち良く出かけた。
2010年秋の沖縄,2011年大型連休の北海道,2012年秋のハワイ,2013年秋の済州島,2014年大型連休の福島,同年秋の豪州,2015年冬の新潟スキー,・・・
娘にどれだけ記憶が残っているかはわからないが,少なくとも親は娘が楽しんで過ごしている様子を脳裏に焼き付けることができたのはこの上ない幸いであった。

さよなら,未就学児時代の娘よ,小学生時代を十分楽しんで,強く優しく美しく成長して欲しい。

父より。

このページのトップヘ