矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

カテゴリ: 教育

人生は迷路だ
目的地にまっすぐ行きたくても
なかなか簡単にはたどり着けない
最短距離で行こうとすると邪魔が入ったり
回り道を余儀なくされたり
逆行を強いられたり
方角に迷ったり
しまいには目的地を忘れたり
道を歩むことをやめたくなることも

しかし
目的地さえ見失わなければ
時間がかかっても 最後には迷路を抜け出し
ゴールにたどり着ける
回り道をしたり 苦労したことで
かえって ゴールまでの過程が味わい深くなることもある

そう信じ 目的地への歩みを続けていきたいものだ

たとえ その歩みが 目的地から遠ざかるように感じたとしても
その選んだ道が 本当は近道だったりすることもある

平成三十年 21世紀に入って18年が経とうとする今 世界が本当に平和と繁栄の道を歩んでいるのか 分からないが
信じるべきものを信じ 前向きで 強い気持ちで 迷路の中を進んで行きたいものだ

中学受験シーズンまっただ中である。
今年は,自分の甥や,知人の娘など,かなり近しい人の子息たちが中学受験の当事者になっており,今まで以上に中学受験を身近に感じる。
私の小学校時代の時,中学受験をする同級生は大変そうだったのは今でも覚えているが,昨今はもっと大変で,かつ早期・長期化しているようだ。小学3年生の冬から受験準備に入り,6年生の一年間は受験準備一色とか。夏休みの旅行も,冬休みの正月の家族行事もなしで過ごすのは当たり前のようだ。
人生の一時期で,すべてに優先して勉強に打ち込む時期があってもいいとは思うのだが,果たしてそれが12歳の少年少女に課すのはどうなのか。本を読むのが好き,サッカーや野球をするのが好き,ピアノを弾くのが好き,英語などの外国語を勉強するのが好き,といった様々な才能や趣味の豊かなこどもたちの,その貴重な時間を中学進学の準備だけに費やすように仕向ける風潮には,理解に苦しむし,怒りさえ感じてしまう。
日本の教育は,単なる椅子取りゲームになっているようにも思う。限られた椅子に座るために,我慢を重ね,人より先んじようと競争意識を煽り立てるのは,果たして人間性をはぐくむという観点で望ましいものなのだろうか。限られた椅子を,他者を蹴落としてでも取ろうとする能力よりは,他人が座りたがるような椅子を,新しく作り上げる能力をはぐくむようが精神衛生上健康的だし,創造的だし,楽しいように思うのだが。椅子を取るよりも,作る人を育てる教育が,今の日本には必要に思うのだが・・・。

今年も今日ではや二週間。すでに一年の24分の一が過ぎようとしている。
一年を一日と考えれば,既に一時間が経過してしまった。といってもまだ残りは23時間はある。

多少遅くなったけれども,今年の私の考えていたモットーをここに発表する。
四つの漢字で『再』,『整』,『備』,『楽』。
『再』は「再開」,「再会」,「再挑戦」の意味を込めた。
この年になると,新しいものへの挑戦よりも,過去に一度挑戦したが失敗したり,時間やお金が足りなかったりで諦めていたことに対して再度挑戦する年としたい。こどもも大きくなり,以前よりは手がかからなくなってきたことだし,少し親でない自分の部分も見直していきたいものだ。
『整』は「整理」「整頓」の意味を込めている。
身の回りの整理整頓をしていきたい。住環境や職場環境などもそうだが,自分の内面についても整えていきたいものだ。余計な事柄に心を奪われることなく,本当に必要なことに精神を集中し,不要不急なもの,有害無益なものは潔く整理していきたい。
『備』は「準備」「備え」の意味を込めている。
自分ももう結構な年齢である。大昔なら老人であったり,この世から完全引退しているような年齢でもある。来るべき次の人生ステージに向け,いろいろな準備を本格的に始めていきたいものだ。また,日常生活の中においても,準備を入念にした上で何事も取り組んでいきたいものだ。慌てて取り掛かり失敗を積み重ねる失態は,この年齢でするのはさすがに恥ずかしいものである。
『楽』は「楽にする」「楽しむ」「楽しませる」の意味を込めている。
物事の進め方を見直し,可能な部分はできる限り楽にするよう合理的な方法を採用していきたいものだ。そして浮いた時間を,自分の人生として大いに楽しみ,また,隣人を楽しませるような過ごし方をしていきたいものである。


素数の年が終わって素数の日数経ってから,「史上最大の素数」が発見されたというニュースがあった。
本音を言えば,昨年中に発表されてほしかったが・・・。
「史上最大の素数」が発見されたということは,「史上最大の半素数」も分かったということだ。(半素数は,二つの素数の積となる数(二つの素数は等しくても良い))
もしも私が数学の先生で,テスト問題を作る立場だったら,このトピックを使って以下のような問題を出したい。
(なお,メルセンヌ素数,半素数の解説は問題文中に入れておく。)
1.2018年1月に発表されたこの史上最大となる2324万9425桁からなるメルセンヌ素数(2^77232917-1 = 467333183........)の,下1桁の数字を答えなさい。
2.2018年1月時点で考えられる,史上最大の半素数について述べた以下の文章の空白部分に,正しい数を入れなさい。
「現時点での史上最大の半素数は,(       )桁となる。
 上一桁の数字は( ),下一桁の数字は( )となる。」

ここでは,答えは記さないが,ヒントは以下にいくつか記す。

・2^1=2, 2^2=4, 2^3=8, 2^4=16, 2^5=32, 2^6=64,.... と,2のn乗の下1桁は,2,4,8,6,2,4,8,6,...と繰り返す。
・4×4=16 , 5×5=25, 45×45=2025, 50×50=2500, 450×450=202500
・1×1=1 ,3×3=9 ,7×7=49

正月ボケから脱出するための頭の体操になれば幸いである。
 

26168454_1561536397258680_4504840714439893819_nあけましておめでとうございます。
今年は2018年。2018という数字は,半素数という数。
半素数とは,素因数分解すると2つの素数に分解される数。言い換えれば二つの素数の積となる数。
2018は,2と1009に素因数分解される。
半素数の年となるのは,2005年以来13年ぶりである(2005=5×401)。
また,2005年より前の半素数年は1994年(1994=2×997)。
1993年から2018年までは,素数年は1993,1997,1999,2003,2011,2017の6年ある一方,半素数年は1994,2005,2018の3年しかない。この四半世紀の間は,半素数砂漠といえるほど,半素数は少ない。
もっとも,来年以降は2019(=3×673),2021(=43×47),2026(=2×1013)と十年以内に4つあり,素数は昨年の2017年と2027年の2つ。大抵は,素数年より半素数年の方が多い。
半素数の中には,偶数の半素数と奇数の半素数がある。偶数の半素数は,要は素数に2をかけた数である。今年は偶数の半素数の年でもある。
半素数の中に占める偶数の半素数の割合はどれくらいあるのだろうか。数が大きくなるにつれてその割合は少なくなることは想像できるが,果たしてある一定の数に収束するのだろうか。私にはわからない。

一昨年は三角数,昨年は素数の年であったが,どうも半素数というのは,過去2年に比べると希少性や印象度が薄く,やや面白みに欠ける。それに,過去2年は和暦・平成の年数も同様の事象(2016年,平成28年・・・2016,28とも三角数。2017年,平成29年・・・2017,29とも素数)であったが,今年は平成30年,30は半素数ではない。

半素数にこだわって今年一年を過ごすには,少々モチベーションが欠ける。






秋に運動会を行う学校では,運動会の練習たけなわの季節である。
わが子が通う小学校では,特殊事情により,今年は今週土曜,秋分の日に運動会が行われる予定だ。
毎日,マスゲームや入退場などの練習で忙しいらしい。

そういえば,昨今は,運動会での組体操の事故が相次ぎ,問題にもなっている。せっかくの運動会が,怪我でその子のその後の人生を狂わせるような事態になっては悲しい。
そもそも,運動会で,マスゲームや組体操の要素は必要なのだろうか。徒競走や,騎馬戦・玉入れ・綱引きのゲームだけでいいのではないか。運動会でもっとも準備に時間を費やすのはマスゲームだろう。貴重な授業時間を運動会に費やす意味が,現代どれだけあるのかとも思う。

諸外国で,日本の運動会にあたる学校での類似行事はあるのだろうか。私は正直聞いたことがない。
また,学校の運動会では,地域の有力者(市長,議員)などの来賓が必ずいて,マスゲームなどはその来賓の方に披露をする形で行われる。どうも,その光景は日本のお隣の独裁国家を思わせる部分もあったりして,違和感さえ感じる。

運動会の学校における意味を考えたい。とかく個人より集団の秩序が優先される学校で,運動会がその風潮を強化している部分があるように思う。もっと個人個人の個性を尊重するような,民主的な運動会はないものだろうか。

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