矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

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今日から我が家は家族で外国旅行に出かける。
わが子は今小学生。1週間程度以上の長期旅行に家族で出かけるチャンスは,夏休み,冬休みしかない。
春休みは大人の私と妻は年度末あるいは年度初めでいろいろ仕事が忙しいし,大人の我々が割と休みの取りやすい時期に限って,わが子は学校の授業が普通にある。
そして,夏休み,冬休み,旅行に行きやすいシーズンに限って航空料金は跳ね上がる。

こどもを休ませて,大人の都合に付き合わせて旅行に出かけるのは心理的抵抗がある。義務教育をわが子に受けさせないのは,大人がこどもの教育を受ける権利を奪っているように感じるからだ。(とはいっても,学校で受ける教育が必ずしもこどもに本当の意味で役に立っているのかどうかは議論があるところではあるが。)
かといって,わざわざハイシーズンに,お金を余計にかけて出かけるのも何だかもったいない。
経済の原則で,需要と供給のバランスで価格が決まることから,ハイシーズンに価格が上がるのはある程度はやむを得ないと理解はするが,せめてこども料金についてだけでも,大人の半分から三分の一程度にしてもらえないだろうかと思う。旅行というのも,机上の勉強だけでは得られない,得難い貴重な体験をいろいろできるものだし,それらは絶対に人生を強く,豊かにし,国家・社会にも貢献できるものだと思うのだが。
さもないと,これからの世界を担う若者やこどもがますます内向きになり,結果少子化がどんどん進んでしまうと思うのだが。

世の中,完全平等はありえない。
人によって能力に違いはあり,おかれた環境にも違いがあり,また性格も違いがある。
その結果,どうしてもある程度の差は出てきてしまうし,優劣・順位が出てくるのは仕方ないとは思う。
多くの成果を出したものが多くのものを得るのはある意味当然であろう。
成果の多寡に関係なく,報酬がまったく同じであれば,成果を出そうという者が減り,社会全体の士気が下がり,停滞を招く。

しかし,成果の差以上の格差が付くのはやはり問題があろう。成果を出せる者は良いかもしれないが,成果を出せない者の士気が下がり,やはり社会全体の停滞を招く。それのみならず,成果を出せない者の恨み悲しみが募り,社会全体がぎすぎすした雰囲気になり,世相が荒れてくる。

果たしてどれくらいの格差ならば許されるのかは,議論の余地があるが,少なくとも,あらゆる人が,日本国憲法の定める基本的人権が守られていると実感できる程度の生活水準が保証されていることは必要であろう。
それと同時に,成果を出そうという者を素直に応援する制度をきちんと確立していることも重要だ。

明日の食事にも困るような人がいる一方で,お金が有り余って,節税か脱税かわからないがタックスヘイブンに大量のお金を隠し,更に貪欲にお金を欲しがる人がいるのは明らかにおかしい。
特に後者は,裕福で自由に見えて,実際はお金の奴隷になっていて,価値観がおかしくなっているとしか思えない。
本当の富は,所有するお金の多寡で測れるものではなく,地上の人々にどれだけの喜び・価値を与えられるかどうかで測るものなのではないだろうか。

パナマ文書公開の結果,この世界が今後どのように動いていくのか。

総選挙が先日公示され,投票日まであと10日を切った。
考えてみると,選挙活動ができるのが二週間弱しかないというのは,ずいぶん短い気がする。
これだけ短い時間しか有権者たちに選択を考慮する余裕を与えないというのは,どういうことなのだろう。
昔ならまだしも,今は諸問題が山積している状況であり,有権者一人一人が真剣に考え,討議する時間は以前より増えているはず。
選挙カーで候補者の名前を連呼したり,有権者と握手しまくったりを選挙活動というのであれば,何か考え方が根本的に違うような気がする。
ナントカ48のアイドル人気投票とは質が違うのである。

有権者が重視する政策が,朝日新聞によれば
1位:景気・雇用対策      
2位:国会議員の定数削減  
3位:子育て支援・女性の活躍
4位:消費税の引き上げ延期
5位:地方の活性化
6位:原発再稼働
7位:集団的自衛権

の順だそうだ。それぞれ切実な問題であるのは確かだ,が,
いつの総選挙のときも,重視政策が「景気・雇用対策」だったような気がする。
「景気・雇用対策」と重視して選んだ結果が,結局満足な「景気・雇用対策」を打ち出せなかった内閣・政府しか生み出せなかったことに,有権者は考えた方がいいのではないか。
それに,「景気・雇用対策」は,言い方をかえれば「お金」の話である。もちろんお金の話は大事ではあるが,「お金」の話ばかりでいいのか,という思いは私は強い。もっと大切な話もあるのではないか。たとえば「少子化」「原発」。今ある「いのち」,そしてこれから生まれてくる「いのち」に対する思いはどうなのか。もちろん,これには「お金」もある程度絡んでくるのは理解はするが,「いのち」と「お金」,どちらが大事なものか,優先順位をはき違えてないか。政治家も有権者も考えたいものである。

国民に対する真の愛情を感じられる人物を国会議員として選びたいものである。いくら家柄が良くとも,才能があっても,「国民への愛情」が欠如している人物は願い下げである。どうも,今の首相やその側近の大多数は,「愛情」ではなく,何かに対する「恨み」や「恐怖」「偏執」に基づいて政治を行っているようにしか思えない。この私の感覚が杞憂であればいいのだが・・・・。

今週,インフルエンザに感染してしまい,体調不十分な中記す本ブログであるが,どうも選挙の動向を見ていると,体調回復が遅くなるような気がしてならない・・・。

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「豊かさ」は果たして,お金でしか表現できないものであろうか。

確かに,客観的な数値・単位として,お金は「豊かさ」を図る道具としては便利である。
統計を取って,過去や他者との比較をし易いし,中長期的な計画を作成するにはなくてはならないものである。

しかし,注意しなくてはならないのは,あくまでもお金は「豊かさ」を図るひとつの道具でしかないということ。
それ以上のものでも,それ以下のものでもない。

お金は確かに大切なものではあるが,それ以上に大切なものがある。お金がいちばん大切なものであると勘違いすると,苦しい人生を送ることになる。

日々,仕事したり生活したりする上で,忘れないようにしたいものである。
長い低迷期を抜けて,景気が上向きになりつつあり,株式市場等も好調な時期だからこそ,肝に銘じたい。
仕事は,あくまで隣人・社会に「豊かさ」を与えるためにするものであり,その結果・見返りの一部として「お金」が得られることを。

今日4月8日は,日本ではお釈迦様の誕生日。「花祭り」「灌仏会(かんぶつえ)」とも言われる日である。
が,恐らく12月25日のクリスマスより世間一般の認知度は低いのではないか。

何でか。キリスト教信者が1%前後で,仏教徒の人口はその2,30倍以上いると言われているのに,この落差は何なのか。答えはひとつ,商業ベースに乗ってないからだ。クリスマスは,プレゼントだ,パーティーだで,玩具や食料品など,(また日本では正月のお節料理,お年玉などと合わせて)物を売る側,作る側の書き入れ時であるが,お釈迦様の誕生日には,そのような機会がない。

しかし,教祖の誕生日の認知度が,経済への貢献度に比例している現状が果たしていいのかどうかは議論が必要だろう。確かに,経済,お金は大事ではあるが,世の中,経済,お金よりも大事なことがあるだろう。それを追求するのが宗教の役割ではないか。お金は現世の,人間の間でしか通用しない道具・言語である。お金は,本当に大事なことを実現するための単なる道具であり,お金が第一ではないはずだ。

・・・先週,日銀総裁が,かつてない量的緩和策を発表したが,そのことで,果たして本当に日本経済が良くなるのかは,注視していく必要がある。万が一失速,沈滞したら,想像したくない状態に日本経済がなってしまう。しかし,成功しても,そのことが「お金第一,経済至上主義」という世相の単なる強化であったら,これも悲しいことである。

我々は一体どうしたらいいのか。微力でも,お金を大事に扱いつつも,お金より大切なこと,大事なことを真摯に追い求め続けるしかないのだろうか。

今日は今年の株主総会集中日。今年に入って全般的に株価がさえない中,株主からの厳しい要求にどう対処しようかと,多くの上場会社の取締役員,経営者の方々は悩んでいるに違いない。

株主だって,自分の貴重な財産を事業発展のために出資したのだから,それなりの主張・要求をする権利はある。しかし,あまりに自己の利益確保にこだわるあまり,理不尽な配当の要求をするのは株主としては間違いなのではないかと思う。

お金を出している方,払っている方が立場上強いという認識で,立場の強い側が我が者顔で理不尽な要求をするケースが最近多いような気がする。モンスターペアレント,モンスター患者など,出したお金に見合う,あるいはそれ以上の見返りを求めることにこだわりすぎて,社会がギクシャクしているような気がする。

お金を出すのは,立場が強いというのではなく,自分にないもの,至らないものを提供してくれたことに感謝するというのが本来の意味ではないかと思う。本来自分がすべて労力をかけて行わなければできなかったもの,あるいは自らの能力不足のために支援が必要だったものを,資源や能力を提供してくれたことに対する感謝,そしてそこには自分の参加意識も入っているのだと思う。

だから,たとえば映画館で,お金を払ったからって好き勝手な行動をして他の客に迷惑はかけてはいけないのである。あくまで映画を楽しむために映画館にいくのであって,映画を作成した人々,あるいは映画の配給に携わってくれた人々,映画館というスペースを提供した人々に感謝し,映画を楽しむという参加料という意味で映画館の入場料を払っているのである。

お金の意味について,考え直したいと思った株主総会集中日の朝であった。

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