矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:こども

ブログネタ
サラリーマン日記 に参加中!
「新人のくせして、生意気言うな!」
「こどものくせに、生意気な!」
「のび太のくせに、生意気だぞ!」

この「◯◯のくせに、生意気だ!」というフレーズ、年度が変わり、学校や職場で新しい人間関係が構築されつつある今、耳にしやすい。あるいは、実際に口には出さないものの、心の中でそう思い、態度に出している人もいる。

確かに、物事の背景を知らず、見当違いな言動・行動を取ったり、場をわきまえず不適切な言動・行動を取る人に不快な感情を持つことはある。そのような言動・行動を取る人は、新人であったりこどもであったり、その場にとっていわば「異分子」であることが多い。

しかし、だからといって、その人に対して、その人の属性を指して「◯◯のくせに、生意気な!」という言葉は決して言ってはいけない。問題点は、言動・行動そのものであり、または問題となる言動・行動をする本人の思考方法にあるのであり、本人が新人かこどもかといった属性にあるのではない。

あるいは,もしかしたらその人たちの言動・行動の方が正しい場合や理に適っているいる場合もあるかもしれない。それを,中身も吟味せずに発言者に対する一方的な思い込みで「生意気」扱いしてしまうのは、大きな過ちであり,場合によっては取り返しのつかない致命的な事態を招くこともある。

「◯◯のくせに、生意気な!」と言われた方にしてみれば、このような発言をする人とはコミュニケーションを取る意欲を失うだろう。自分の問題点がどこにあるかも分からず、ただ自分が新人だこどもだという、自分の努力ではどうにもならない理由で不快な思いをするだけでは、発言する気になることはないだろう。どんなに素晴らしいアイディアや的確な意見を持っていたとしても。

「◯◯のくせに、生意気な!」と平気でいう人は、本当の問題点がどこにあるかが判別できず、偏見と差別意識に凝り固まった、そしてそのことに気付かず、あるいは気付いたとしても治そうともしない、心と頭の不自由なかわいそうな人だ。そのような人間が組織の重要な部分にいると、有能な「異分子」は寄り付かず、結果として組織の沈滞と崩壊をもたらしてしまう。

どんな組織にも、有能な「異分子」は欠かすことができない存在である。そのような存在を大切に育てようとする意思があれば、彼らの発言権を抹殺する「生意気な!」というフレーズは絶対頭にも浮かばないはずだ。だいたい、誰だって最初は組織に対して新人という名の「異分子」だったのだ。そのことを忘れてはいけない。

少なくとも、自分自身は、「◯◯のくせに、生意気だ!」と言ったり思ったりする人間にはならない。今も。そしてこれからも、どんな立場に立とうと、ずっと。

今日から2月。2月1日といえば、中学入試のピーク。
数十年前はごく一部のこどもの話であったのが,もうすっかり一般的なものとなってしまった。
これが良いのか悪いのか,賛否両論あり,個々人の事情もあり,一般化して評価することはできない。
が,ひとついえることは,時代が移り変わっているにも関わらず,日本社会は学校を批判しながらも学校に過剰に期待あるいは依存し続けているということだ。
学歴は実社会ではそれほど関係ない,学校での勉強は実際には直接生活にはそれほど役立たないという割に,どこの学校を出たかで人物を判断したり,学業成績を気にしたりする。往々にしてそのような発言が同一の人間から発されることが多いように感じるのは気のせいか。
学校で長く勉強してきたという割に,短絡的で底の浅い思考をする大人が少なくないし,逆に大人顔負けの知識を持ち,怖いほど覚めた感覚で社会を見ている子どもがいる。
日本は少子高齢化というけれど,高齢にふさわしい成熟した精神を持つ大人はむしろ少なく,悪い意味でこどもっぽい,幼い大人が多いような気がする。
それも問題ではあるが,もっと深刻なのは,やんちゃで無鉄砲なところがあるが,純真でまっすぐな,こどもらしいこどもの割合が減っていることではないか。こどもの数がただでさえ減っている上に,こどもの精神が老化しているように思えるのが心配である。もっとも,これはこども自身が悪いわけではなく,そういうこどもにさせてしまっている大人が悪いのであるが。


このページのトップヘ