矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:テロ

ニュースというのは,往々にして悪い内容が多いものである。それは百も承知なのだが,昨今のニュースはその悪さの度合いが以前にも増してひどくなっていると感じるのは私だけだろうか。
悲しい事故・犯罪,一向になくならない戦争・テロ,国内外政治家の聞くに堪えない暴言・失言,不祥事,・・・
それらのニュースを見聞きするだけで病気になってしまいそうだ。
もっとも,これだけそのような報道が多いということは,裏を返せば,世界に起きている事実が誠実に報道されているという証拠ともいえる。本当に現実に起きている出来事が,何らかの見えない力が働いて何も報道されなかったり,あるいは歪められて真実とは異なる形で報道されるようになると,これはこれでもっと問題になるが。

それにしても,病気・事故・戦争・犯罪,・・・これらを,完璧に防ぐことは無理にしても,減らすことはできないものなのか。
物事には原因と結果が必ずある。原因を把握し,病気・事故・戦争・犯罪の原因となるものを根本からなくす(あるいは減らすようにする)ことと,発生した病気・事故・戦争・犯罪に対して,その刑罰を厳しくしたり発生した事象を軽減・緩和させることの2通りの対処方法がある。
最近の世界や国・社会の動きを見ていると,後者の対処療法的な行動の方が多く,前者の,そもそもの原因を追究し,根本原因をなくす動きが少ないように感じる。
これは,対処療法的な行動の方が即効性があり,また,経済理論から考えるに,その方が,いやな言い方をすれば「儲かる」からだろう。対処療法は,いくらでも考えることは出来,また人々の目前の欲求に対して即座に回答を提示しやすい。
一方,根本原因は,おおよそ元をたどれば一つであり,それを変えるのは人間が人間である限り,難しいのかもしれない。満たされることのない欲望,ゆがんだ感情,孤独,・・・・。それらを解消・軽減するためには何をしたらいいのか。人間の目に見えるものを用いても,限界があるのだろう。

・・・・果てることのない,満点の回答のない問いに対し,人間は考え続けていかねばならない。当座の暮らしを守りつつも。そうして春分後最初の満月の夜は更けていく。

WTC今日で米国同時多発テロ発生からまる13年。
その後,米国はアフガニスタンを攻撃し,イラクを攻撃し,テロのない世界が作られた・・・という事態にはなっておらず,かえって中東に無秩序と混乱をもたらしてしまっている。
「テロとの戦い」というが,相手は「誰」なのか,「戦う」のはどのような方法でなのか。現状を見ると,どうも戦う「目的」と「方法論」が間違っているとしか考えられない。
もはや相手は「国家」といった確立した団体ですらないし,「武力」で抑え込もうにも限界がある。今までと根本的に違う方法論で対応するしかないだろう。テロを起こすきっかけが何か,そのはじまりを抑え込んでしまえば,無駄な武力衝突を起こさずに,ずっと低コスト低リスクでテロを防ぐことができるはずだ。

「戦い」・・・この言葉を聴くと,どうしても反射的に「戦争」を思い起こす。そして,その「戦争」は,第一次世界大戦以降の国家同士の総力戦で,徹底的な破壊と残酷なまでの殺し合いを想像してしまう。どうしても「戦い」は忌み嫌うべきもの,「平和」こそが追い求める究極の理想という考えを,特に戦後の我々は持ちがちである。
しかし,その「平和」の姿も,本当の意味での「平和」なのかどうかを考えなければならない。偽りの「平和」,ごく一部の人が,その他多数から富を搾取してのうのうと暮らしている世界,差別と偏見に満ちた中,差別を受ける人々が過酷な忍耐を強いられながらも,何とか平穏に保たれている世界が果たして,表立った武力衝突がないからといって,本当の「平和」といえるのかどうか。
この世界に「不正」やあからさまな「不平等」がはびこっている場合,それらを正すためには「戦い」は必要だと思う。その「戦い」がなければいつまでも「不正」や「不平等」が続き,世界は真の「平和」の姿からほど遠いままだからだ。
ただし,その「戦い」は,「戦争」「武力」により解決すべきではない。それらによっては本当の解決はもたらされないことは人類の歴史が証明している。人類には別に解決に必要な能力が与えられていることを信じたい。相手の心に届く「言葉」を使い,この世にはびこる不正義の真の原因をともに考え,解決法を見出し,足りない部分は補い合いながら,時間をある程度かけて徐々に解決することは決して不可能ではないはずだ。


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ブログネタ
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米国東部同時多発テロから今日で7年。
その後、「テロとの戦い」と称し、アフガン、イラクと米国は出兵し、力で鎮圧しようとしたが、完全にテロ勢力を押さえこんだとはいえない状態が続いている。
果たして「テロとの戦い」は成り立つのか。私は成り立たないと思うし、だからテロとは戦ってはいけないのだと思う。真に戦うべきはテロを起こす要因であり、その戦いには武器も兵器も役に立たないと思う。
テロの要因は、生命の維持を脅かされるほどの貧困であり、また,他者への無理解、無関心からくる恐怖、侮蔑、排除の心であり、そこからくる屈辱、差別、復讐の心ではないかと思う。
テロの要因を放置したままで,頻発するテロに対してまるでモグラたたきのごとく武力で鎮圧しようとしても、懲りずにテロが発生しているのは今までの歴史が証明しているではないか。

どうすればテロの要因をなくすことができるのか。物的欲望や権力欲に支配されきってしまった現代人の,特に個々の組織の支配層といわれる人が,真にそれらから自由になり,本来持っている良心にしたがって物事を判断し,実行していくことができれば要因はほとんどなくすことができると思う。しかし,それができないのが悲しいかな,人間の弱さである。だからといって開き直って,現状をただ傍観してはいけないと思う。真に戦うべき対象は個々の心の中に潜んだこれらの歪んだ欲望そのものである。人の心をそのような欲望の支配から解放させること,これこそが真なる「テロとの戦い」なのではないか。


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