矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:原子力発電所

昨日で早くも東日本大震災から6年が経過。
被災地の復興もだいぶ進んできたとの話も聞くが,ひとつだけ取り残されている感じがするのは,やはり福島第一原子力発電所周辺の町。前よりはかなり放射線量は減ってきて,避難解除が徐々に進んできたとはいえ,一度別の場所に避難して数年もの間外の地で暮らしていたら,なかなか元に戻って生活を立て直そうという気にはならないだろう。しかも仕事も生活も成立するかどうか先行き不透明な状況に,ただでさえ長期間の避難生活で身も心も疲弊しきっている中,更につらい状態に自ら飛び込もうとは思えない。

それ以上に心を痛め,憤りを感じるのが,避難した先々でのいじめ問題だ。ただでさえいろいろな悩み苦しみを背負いながら泣く泣く避難しているのに,それに更に追い打ちをかけるように,彼らに冷たい,酷い仕打ちをするその神経がまったく理解できない。困っている人には手を差し伸べるのが普通だろうに。手を差し伸べるだけの力がなければ,せめて暖かく見守るぐらいはできるだろうに。それすらもせず,逆にイジメるとはまったく何事だろう。本当に避難者をイジメる輩,奴らは許せない。もしも自分が同じ境遇に立ったらと思えないのだろうか。そういうことも分からないほど頭も心も不自由なのだろうか。

6年前。一歩間違えれば,関東地方全体が,原子力発電所周辺の町のようになっていた可能性が高かったことは決して忘れてはいけないし,そうそう忘れられるものでもないと思うのだが。そういう重い過去があったことをもう忘れられる人々の記憶力のヘリウムのような軽さ,アッパッパーなおめでたさが心底羨ましい。とはいっても,そのような軽薄で薄情な人間には決してなりたいとは思わないが。C5ikzzRUYAAuD6c

ブログネタ
福島第一原発 放射能 に参加中!
大震災から十日。

今回は,地震のみならず,津波,原発事故の三重苦に対面しなければならず,加えて,原発事故は未だ現在進行形で続いている分,深刻さの度合いは深く重い。地震と津波は,とりあえずは収まり,後は被災者の救済,支援に力を入れればいいが,原発事故は下手をすればこれから新たな被害者・被災者を増やし,しかも何世代も広範囲に悪影響を及ぼし続ける危険性がある。原発事故さえなければ,被災者支援にもっと集中して取り組めるのだが,原発事故のために,事故を起こしている原発の近くに住んでいる人のみならず,東京近郊に住んでいる多くの人たちは,ストレスと不安から逃れられない日々を過ごさねばならない。

もっとも,政府や関係機関の発表する数値によれば,現状では放射線漏れに関しては,少なくとも東京を中心とする南関東ではまず心配する必要はないようだ。一部メディアでは,福島が第二のチェルノブイリ化する,東京が死の灰にまみれるなどというセンセーショナルな報道で不安をあおっているが,正確な情報に基づき真面目な報道をして欲しいものだ。人の無知につけこみ,不必要に恐怖に陥れ,パニック状態にさせ金儲けしようとする姿勢に強い憤りと怒りを感じる。一方で,政府や関係機関も,把握している事実と情報は包み隠さず,都合の善し悪しの区別なく,正直に発表し続けて欲しい(していると信じているが)。

それにしても,今回の事故を受けて,果たして原子力発電所は今後どうあるべきか,改めて考え込んでしまう。私の学生時代以前は,放射能・放射線の危険性が過度に強調されており,それゆえにいわれのない恐怖感を抱き続けていた。そのとき抱いた感情はいまだ払しょくはされてはいないが,一連の原発報道や,自分で改めて図書館などで情報収集し,勉強した結果では,適切な管理を正しく行えば,必要以上に恐れることはないということは知った。また,地球温暖化問題を考えると,原子力に替わるエネルギー源が果たして現時点であるのか,判断できない。
ただ,中長期的に考えるのであれば,今後,原子力に頼る度合いを縮小し,最終的には辞めるべきだろうと思う。適切な管理を正しく行えば大丈夫とはいえ,何世代にも渡って使用済み燃料(ようするにゴミ)を管理するのはコストもかかる。また,管理する優秀な人材を育成・確保することができるのかも懸念材料だ。過去の世代の後始末をするためだけの業務に,人生をかけようという意気込みを持った士気が高く優秀な人材が集まるのだろうか。
また,重大事故を防ぐための何重もの防御設備を設置するとなると,これまたコストがかかる。「想定外」という言葉が許されないとなると,マグニチュード10の地震,100mの津波にも耐えられるような原子力発電所を作らねばならないが,それが現実的に(経済的にも物理的にも)可能なのかどうか。
それ以上に,放射線事故にさらされるリスクと隣り合わせで生活しなければならないストレスの方がより心配である。むしろこのストレスの方が,放射線以上に恐怖かもしれない。「放射線に関する知識を正しく人々に啓蒙する機会をつくればいい」という人がいるかもしれないが,現時点での放射線に関する知識のみを伝えることだけで果たして充分なのか。もしかしたら科学・技術の発展により放射線に関して新たな事実が分かってくる可能性もあるし,また,現時点でも必要な情報とそうでない情報,正しい情報とそうでない情報の区分けの判断も難しい。

とにかく,当面は,今ある原子力発電所は細心の注意を払いながら慎重に動かしつつ,原子力に替わり得る新たな,より安全なエネルギー源の追求に注力するしかないと思う。加えて,より一層の厳しい節電を心がけるしかないだろう。確かに,減灯されているオフィスやスーパーマーケットの中にいたり,計画停電による暗い街並みの中にいると,多少気分が暗くなるものの,今は慣れつつあるし充分耐えられる。何よりも,不要にエネルギーを浪費していた生活スタイルを見直す良い機会を与えられたと考え,新たな時代に即した生活スタイルを模索しつつ前向きに生きていきたいものだ。
この事態を乗り切れば,新たな明るい展開が待っているという希望を持ちつつ…。

我が家は朝日新聞をとっているが、朝日新聞では年始から環境元年と称し、地球温暖化の問題について論述を張っている。
この特集の内容自体は特に反論するところは私はないように思う。
ただ、世間の風潮として、二酸化炭素の増加に関心が集中しすぎているようにも思える。
もちろん、二酸化炭素増加による地球温暖化が問題になっていることに疑問をはさむ余地はないと思っている。ただ、二酸化炭素増加を防止さえすればすべて解決するという意見にはどうしても賛成できかねる。
よく、原子力発電所が二酸化炭素増加防止の切り札として言われているが、原子力発電所は二酸化炭素以上に有害な、放射能物質を生成してしまうことを忘れてはいけない。
二酸化炭素のみならず、人類をはじめとするあらゆる生物に有害な物質を極力ださない方法を考えるべきである。優先順位を間違えてはいけないと思う。

このページのトップヘ