矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:少子化

今日は子どもの日。この日になると決まって15歳以下の人口が年々日本では減っていることが報道され,少子高齢化を嘆く論調がメディアを賑わす。

私はいつも思うのだが,「少子化」と「高齢化」を一緒くたにして論じるのはおかしいと思っている。確かに,日本全体の人口構成を考えれば,将来国を支える若くて元気な人々が少なくなり,体の機能の衰えた人が割合として増えていく傾向を心配する気持ちは理解はできる。しかし,「高齢化」を問題・否定するのは,人々が長生きすることを否定することにつながるのではないか。人間は生きている限り確実に年を取る,つまり「高齢化」するわけであり,「高齢化」するということは,生き続けてきた勲章であるのだ。「高齢化」を否定するのは「生命」を否定することになると思う。

問題にすべきは「少子化」であるが,これを論じるにも慎重にしないといけない。「今の若い人は結婚しない,子どもを産もうとしない」と嘆く人も少なくないのだが,多くの若者は結婚を希望し,子どもも平均2人は欲しいと思っていることは覚えていて欲しいと思う。希望していても経済的な事情,身体的な理由で結婚・出産をしたくてもできない人も相当数いるのだ。そのような事実があるにも関わらず,人口統計やメディア上の論調に乗じて,今の若者を他人事のように批判するだけでは,若者の心を傷つけるだけで何の解決にもならない。本当に少子化を憂えるのであれば,現在享受している自己の利得を削ってでも,将来への投資としてこれから結婚・出産する世代および現在子育て中の世代への支援に物心両面で回すべきだと思う。

「少子化」が問題なのは,確かに将来の人口構成もそうなのだが,私はむしろ将来に対する国民の不信,諦めの気持ちの表れなのではないかと危惧する。
地球環境の破壊,資源の枯渇,国際情勢の不安定化,治安の悪化,教育水準の劣化,・・・メディア上で流れるニュース報道は気持ちを暗くさせるものばかりである。このような社会に次世代として我が子の生を預けていいのかと不安に思ってしまうのも無理はないと思う。
しかし,どのような時代であっても,人間は知恵を出し合い,協力し合って危機を打開してきたからこそ,今まで人類は生存の歴史を重ね,命のリレーをし続けて,現在があるのだ。かつては核戦争の危機,石油禁輸の危機もあったのに,現にこうして人間は地球上に存在させてもらっている。この事実を忘れずに,将来に対する希望と勇気を持ちつつ,日々自分に与えられた能力を生かして,少しでも社会に恵みと喜びを作り出そうと一人でも多くの人が思い行動していけば,将来は決して暗いものではないはずだと思っている。

今日5月3日は憲法記念日。1947年の今日,現在の日本国憲法が施行されて66年が経つ。
大日本帝国憲法が施行し,失効するまでが約57年半だったことを考えると,既に日本国憲法の方が有効期間が10年近く長くなっている。

ここにきて,憲法を変えようという動きが目立つ。憲法が時代に合わなくなってきているとか,日本を取り巻く現実に対応しきれないとか,今の日本の”体たらく”をもたらしたのは今の憲法だとか,”改憲派”勢力の意見は勇ましく,力強く聞こえる。一方で,”護憲派”の意見は,なかなか聞こえづらい。

しかし,果たして今の日本が本当に”体たらく”状態なのか,そもそもその”体たらく”は何を,いつの何と比較してなのかはきちんと定義してほしいものである。(決して現状が完璧で素晴らしい,とは思わないけれど。)
一部の特殊事情をあたかも普遍的事実と偽って,世論をミスリードするのはやめてほしいものである。

そもそも,憲法を変えて何をしたいのか,それが本当に,日本にとって中長期的に利益をもたらすものなのか。それをするには憲法を変えないとどうしてもかなわないものなのか。それを曖昧にしたままで,中途半端に仮に憲法を変えてしまっても,本当に実現したいことはできず,かえって今の憲法で守られていたことが守れなくなり,日本にとって害悪をもたらすことになるかもしれない。

憲法を考える際はどうしても反射的に9条を頭に思い浮かべるが,今の戦争の形は日本国憲法が成立したときとかなり変わってきていることも考えたい。(戦争の是非の判断は置いておいて。)
9条を変え,徴兵制を復活させようなどという人がいることも覚えるが,少子化が問題となっている今,ただでさえ貴重な若年層を,軍事に割くことは賢明な指導者の考えることではないと思うが。
そもそも,戦争は国際紛争を解決する手段としては現在まったく機能していない。戦争に負ければ当然,勝ったにしても,戦争にかけた労力に見合う利益を得ることは不可能であろう。だから,国の利益という観点で考えれば,戦争よりは,経済施策や,教育・環境保護などにかける方がよっぽど効率的であろう。

個人的には,今の日本国憲法で十分問題ないとは思うが,足りない部分や修正すべき部分があれば改憲すべきとも思う。ただ,今主に「改憲改憲!」と騒いでいる人たちには,賛同することはどうしてもできない。

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今日は子どもの日。この日になると決まって15歳以下の人口が年々日本では減っていることが報道され,少子高齢化を嘆く論調がメディアを賑わす。

私はいつも思うのだが,「少子化」と「高齢化」を一緒くたにして論じるのはおかしいと思っている。確かに,日本全体の人口構成を考えれば,将来国を支える若くて元気な人々が少なくなり,体の機能の衰えた人が割合として増えていく傾向を心配する気持ちは理解はできる。しかし,「高齢化」を問題・否定するのは,人々が長生きすることを否定することにつながるのではないか。人間は生きている限り確実に年を取る,つまり「高齢化」するわけであり,「高齢化」するということは,生き続けてきた勲章であるのだ。「高齢化」を否定するのは「生命」を否定することになると思う。

問題にすべきは「少子化」であるが,これを論じるにも慎重にしないといけない。「今の若い人は結婚しない,子どもを産もうとしない」と嘆く人も少なくないのだが,多くの若者は結婚を希望し,子どもも平均2人は欲しいと思っていることは覚えていて欲しいと思う。希望していても経済的な事情,身体的な理由で結婚・出産をしたくてもできない人も相当数いるのだ。そのような事実があるにも関わらず,人口統計やメディア上の論調に乗じて,今の若者を他人事のように批判するだけでは,若者の心を傷つけるだけで何の解決にもならない。本当に少子化を憂えるのであれば,現在享受している自己の利得を削ってでも,将来への投資としてこれから結婚・出産する世代および現在子育て中の世代への支援に物心両面で回すべきだと思う。

「少子化」が問題なのは,確かに将来の人口構成もそうなのだが,私はむしろ将来に対する国民の不信,諦めの気持ちの表れなのではないかと危惧する。
地球環境の破壊,資源の枯渇,国際情勢の不安定化,治安の悪化,教育水準の劣化,・・・メディア上で流れるニュース報道は気持ちを暗くさせるものばかりである。このような社会に次世代として我が子の生を預けていいのかと不安に思ってしまうのも無理はないと思う。
しかし,どのような時代であっても,人間は知恵を出し合い,協力し合って危機を打開してきたからこそ,今まで人類は生存の歴史を重ね,命のリレーをし続けて,現在があるのだ。かつては核戦争の危機,石油禁輸の危機もあったのに,現にこうして人間は地球上に存在させてもらっている。この事実を忘れずに,将来に対する希望と勇気を持ちつつ,日々自分に与えられた能力を生かして,少しでも社会に恵みと喜びを作り出そうと一人でも多くの人が思い行動していけば,将来は決して暗いものではないはずだと思っている。

私事で恐縮だが,ついに我々夫婦にも,あと2週間足らずで待望の第一子が誕生する予定である。我が子にとって生きる喜びを感じられる社会であるように,父親としてできることは精一杯していきたいと思っている。

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