矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:平和

今日,沖縄県で県民投票が行われる。辺野古埋め立ての是非を問うものだ。
冷静に考えれば,どう見ても「反対」が強いのが目に見えているが,それでもあえてやる理由は何なのか。
もっとも,投票方法などを見ると,どうしても「賛成」を増やしたい,「反対」を少しでも少なく見せたいような姑息で卑怯な細工がいろいろされているのが何とも不快ではあるが・・・

東アジアの平和を守るため,軍事バランスをとるために沖縄の基地を維持したいという考えがあり,そのためにどうしても沖縄から基地を動かす選択肢は取れないらしいが,そもそも,その発想ではどうやっても基地問題は未来永劫解決できないだろう。
戦争の勝利が国益につながっていた前世紀の考えからはいい加減卒業すべきだろう。現に,今の先進国で表立って戦争をしている国は一つもない。戦争をすることがハイリスクであり,そのリスクに見合うリターンは得られないことが分かっているからだ。
そして,平和を維持するための軍事費も,果たして本当に意味あるコストなのか吟味する必要がある。
莫大な軍事費を費やすよりも,未来の人材を育てる教育費に回し,その人材から得られる納税費を期待した方がよっぽど国益につながると思う。また,敵対する国・勢力のために軍事費をつかうくらいであれば,その国を理解し,友好的な関係を構築できるような人材を育成した方が,よっぽど生産的だろうし,どちらの方がコストが安上がりか,正常な頭脳と精神を持っている人であれば自ずと正解はわかるだろう。
それが分からない人ばかりがなぜ組織の指導者としてのさばっているのかが,本当に理解不能・意味不明なのだが・・・

今年は米国大統領選挙の年でもあるが,例年以上に訳の分からない状況になっている。
特に共和党は,誰が最終的な候補者になるのか,さっぱり読めない状況である。
民主党にしても,当初よりも混戦状況になっており,予断を許さない。

現在健闘している候補者というのは,共和党にしても民主党にしても,どちらかといえば極端な主張をしている候補である。仮に彼らがこのまま各党の候補者になると,あまりにブレの大きい選択肢を有権者は選ばなければならないことになり,中庸の人々にとっては投票先に困ることになるのではないかと思う。

これは何も米国に限らず,全世界的な兆候なのかもしれない。極端な主張をすればするほど,世間の注目度が増し,マスコミやネットに取り上げられやすくなるのだろう。それを狙ってますます主張内容が先鋭化しているように思う。
これはこれで分かりやすいといえば分かりやすいのかもしれないが,見方を変えると非常に不安定で怖い現象だ。
真ん中の選択肢,あるいは,ある程度の傾向はあるにしても,もう少し穏やかな選択肢というのはないものだろうか。
世界はある程度,多くの人々が主張をしつつも妥協をしているからこそ,物事が平穏に進み,何とか平和が保たれている部分がある。妥協のない世界は停滞を生み,不満が募りいつかは爆発・暴走して乱れた世界になってしまう。

中庸を積極的に評価する時代が来て欲しいものだ。

WTC今日で米国同時多発テロ発生からまる13年。
その後,米国はアフガニスタンを攻撃し,イラクを攻撃し,テロのない世界が作られた・・・という事態にはなっておらず,かえって中東に無秩序と混乱をもたらしてしまっている。
「テロとの戦い」というが,相手は「誰」なのか,「戦う」のはどのような方法でなのか。現状を見ると,どうも戦う「目的」と「方法論」が間違っているとしか考えられない。
もはや相手は「国家」といった確立した団体ですらないし,「武力」で抑え込もうにも限界がある。今までと根本的に違う方法論で対応するしかないだろう。テロを起こすきっかけが何か,そのはじまりを抑え込んでしまえば,無駄な武力衝突を起こさずに,ずっと低コスト低リスクでテロを防ぐことができるはずだ。

「戦い」・・・この言葉を聴くと,どうしても反射的に「戦争」を思い起こす。そして,その「戦争」は,第一次世界大戦以降の国家同士の総力戦で,徹底的な破壊と残酷なまでの殺し合いを想像してしまう。どうしても「戦い」は忌み嫌うべきもの,「平和」こそが追い求める究極の理想という考えを,特に戦後の我々は持ちがちである。
しかし,その「平和」の姿も,本当の意味での「平和」なのかどうかを考えなければならない。偽りの「平和」,ごく一部の人が,その他多数から富を搾取してのうのうと暮らしている世界,差別と偏見に満ちた中,差別を受ける人々が過酷な忍耐を強いられながらも,何とか平穏に保たれている世界が果たして,表立った武力衝突がないからといって,本当の「平和」といえるのかどうか。
この世界に「不正」やあからさまな「不平等」がはびこっている場合,それらを正すためには「戦い」は必要だと思う。その「戦い」がなければいつまでも「不正」や「不平等」が続き,世界は真の「平和」の姿からほど遠いままだからだ。
ただし,その「戦い」は,「戦争」「武力」により解決すべきではない。それらによっては本当の解決はもたらされないことは人類の歴史が証明している。人類には別に解決に必要な能力が与えられていることを信じたい。相手の心に届く「言葉」を使い,この世にはびこる不正義の真の原因をともに考え,解決法を見出し,足りない部分は補い合いながら,時間をある程度かけて徐々に解決することは決して不可能ではないはずだ。


今日で「対馬丸事件」からちょうど70年。
沖縄から本土へ疎開する児童たちが多く乗った船が,米海軍の潜水艦に撃沈され,1600人以上が犠牲となった事件である。
この7か月後,沖縄戦が始まり,本土空襲が激化し,8月に二発の原爆を落とされ,15日に玉音放送にて太平洋戦争が終わる。

第一次世界大戦以降,戦争は暴力性をより強く帯び,戦闘員/非戦闘員関係なく無差別に攻撃を受けるようになっている。
幸い,1945年以降日本は,直接的には戦争に関わったことはない。あまりにも悲劇的な戦争体験の記憶が,戦争を忌避する姿勢になっているからだ。
しかし,先の大戦を記憶する世代がこの世を去りつつあるこの頃,戦争体験の記憶は徐々に弱まりつつある。また,世界情勢も変わり,戦争の姿も時代に応じて変わりつつある。

先人たちの過去の体験を無駄にせず,いかに戦争のない平和な世界を構築していくか,戦争の原因はなにか,その原因を除去するために何が必要か,現代に生きる我々はもっと真剣に考える必要がある。

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今日で第一次世界大戦開戦からちょうど100年。
戦争が軍人のみならず,一般国民まで駆り出される総力戦になったきっかけとなったのが,第一次世界大戦と言われている。
第一次世界大戦,第二次世界大戦を経験した人類は,その後は世界全体を巻き込むような戦争は一応行ってはいない。
戦争はコストパフォーマンスが悪く,やるだけ無駄だということが身に染みてよくわかったからだろう。
いまだに戦争状態の国の中に,いわゆる先進国はひとつもないことはこのことをよく示している。

ただ,戦争は行われていなくても,戦争の代わりに別のいろいろな争いは日常茶飯事で,世界のあちこちで起きている。
戦争とは何か,平和とはなにか,改めて考えたいものだ。
戦争が行われてないから平和とは限らない。
平和といわれているのが,本当の平和なのか,偽りの平和なのか。

今年で第一次世界大戦開戦から100年ではあるが,来年は第二次世界大戦終戦から70年の節目の年である。
あの戦争を実際に体験した人がどんどんこの世を去っている中,戦争と平和について先人達の貴重な経験を自分のこととして追体験し,後世に語り継いでいく努力をしていかないといけない。

同じ過ちを繰り返し,時間の浪費をして後世の人々に余計な苦労を負わせないために。





現地時間の今日は、真珠湾攻撃を71年前に受けた日。太平洋ど真ん中の楽園の島が、悲劇に巻き込まれた日。

その3年半弱後、東シナ海の真ん中の島が、惨劇に見舞われ、その数ヶ月後に、二発の原子爆弾を見舞われ、太平洋に接する島国が全面降伏。

今は、いろいろ問題は抱えつつも、米軍基地を抱えつつ、一応平和を謳歌するそれぞれ。

前二者は、かつては独立国として、独自の文化がはなやいでいたが、歴史の荒波に翻弄され、独立を失い、辛酸を味わわされた過去があった。しかし、今、世界中から、あるいは近くの国々から、その独自性に惹かれて多くの人々が集まって来ている。そして、その地独自の文化と、世界各地からもたらされた文化が融合し、新たな魅力を持つ文化が花咲いている。

ハワイ、沖縄、そして、日本。
世界地図を描くとき、ともすれば無視されてしまう島々だけど、確かな存在感を世界に対して与えているハワイ、沖縄。
日本の今後の在り方のヒントは、もしかしたらハワイ、沖縄にあるのかもしれない。

先月オアフ島を旅行し、真珠湾のそばを訪問した私には、そして私の曾祖父の従兄弟が日本を代表し、降伏文書に調印した現場に立つ機会を与えられた私には、今年の真珠湾攻撃の日は特別なものを感じる。オアフ島出身の大統領が再選を果たした月に、オアフ島を訪問できたのも、また特別な思いを持つ。

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