矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

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昨年の年末から今年に入ってやたらと聞く「平成最後」というフレーズ。
大晦日の夜7時,紅白歌合戦前のNHKニュースは特に酷かった。何回,15分のニュース時間の間に聞いたか。うっかりすると「平成最後」が「人生最後」に聞こえて,何か陰鬱な気持ちにさせられた。

まだ昨年末までなら「平成最後」のフレーズは許せたが,今年に入っての「平成最後」は,事実ではあるが違和感を感じる。
天皇陛下が「譲位」の考えを示してから2年間。もともとは2019年元旦から新元号となるはずだったのが,宮内庁と政府の,国民の利便性そっちのけの議論で,双方妥協案で5月1日改元という何とも中途半端な時期になってしまった。
日本国憲法の精神を尊重し,国民のことを第一に考えているであろう天皇陛下であれば,恐らく元旦からの譲位を考えていたに違いないし,あるいは年度替わりのタイミングが次善案と考えていただろう。が,宮内庁の怠慢と,統一地方選の時期を外したい現政権の思惑で,上記の日程になってしまった。しかも,10連休という大型連休にしてしまって,この間金融市場は閉鎖し,医療機関その他も大混乱状態になることが見込まれている。

このことに抗議し,今年以降は「平成最後」という単語は私は絶対に使用しない。「2010年代最後」に言い換えたい。
・・・と考えている,「平成最後」=「自分自身の四十代最後」という事実に気づき呆然自失になっている私であった。

今日はクリスマスイブ。平成最後のクリスマスイブは,天皇誕生日の振替休日で日本も休み。
今年を最後に,クリスマスが土日に重ならない限りは,日本ではのんびりとクリスマスを祝うことは当分できないのだろうか。

そもそもクリスマスとは,救世主イエス・キリストの誕生を祝う日。
救世主というと,いきなり力強い大人がどこからか登場してくるイメージがあるが,イエス・キリストは,普通のこどもと同じように,母親マリアの胎内から,赤ちゃんとして生まれた。
そして,普通のこどもと同じように成長し,大人になった。
決して自分のこどもだからといってえこひいきすることなく,むしろ馬小屋という衛生環境劣悪な中で誕生したということ。
そこに,一人ひとりの人と共に歩もうとする救世主と,神の我々に対する思いが表れているように感じる。


世の中いろいろ不安定である。世界政治の状況もきな臭く,金融市場も株価が暴落し,行く末に暗雲が立ち込めている。しかし,そこにまた救いも込められているのかもしれない。
クリスマスが北半球ではいちばん夜の長い時期,闇深き季節に行われることにも,意味があるのだろう。
闇に負けず,クリスマス本来の意味をかみしめながら我が子にやってくるであろうサンタクロースを待ちつつ聖夜を穏和な気持ちで過ごしたものである。


今年も残すところ10日。クリスマス,そしてお正月を迎える季節である。
我が子も今日が小学校の2学期終業式。こどもにとってはワクワクする行事目白押しで楽しい時期だろう。
私も小さい時,若かりしときはそう感じていたものだが。
この年齢になってくると,年末年始の重みというのがだんだん軽くなってくる。
昔は一年の締めくくりと始まりに特別な感情を抱いていたものだったのだが。
これは,人間生きている時間が長くなると,一年間という時間の人生に占める割合がだんだん小さくなるのと関係あるのだろうか。それとも,繰り返し味わってきた年末年始の行事に慣れと飽きが来てしまっているからだろうか。
一年を振り返ったり,来る新年に対する前向きな気持ちがどうも持ちにくくなってきている。
段々生きている瞬間瞬間が平べったく薄くなってきているようにも思う。
それは,時空間や経済規模などを,人生経験をいろいろ経ていく中で大きなスケールでとらえることができるようになった反面,小さな物事に対する感受性が鈍くなってきている副作用なのかもしれない。
いろいろな修羅場を潜り抜けてきたためにちょっとやそっとのことで動じにくくなった,強さのせいか,それとも逆に生きてきた過程で得た強さと引き換えに,繊細で細やかな感性を失ったせいなのか。
平成最後という,ある意味特別な今年の年末。その割には,日ごろのいろいろなことに忙殺されて,軽くて平べったい時間が目の前を通り過ぎていく。こんな形でただいたずらに年を取っていって果たしていいのか。

このブログの扱いとともに,悩むこの頃である。


今日,今年の漢字が発表になった。
2004年以来14年ぶり2度目の「災」。

まぁ,ある程度は予想できた。西日本豪雨に北海道胆振東部地震,大阪北部地震に台風その他,いくつ自然災害に日本は見舞われたか。日本のみならず,世界各地であった。もっとも,自然災害は毎年どこでもあるものだが,例年以上に大規模なものが多かったように思う。
これは地球規模の気候変動によるものなのか。

しかし,2018年の漢字が「災」になったというのは,この年の個性を考える上では最適解ではないように思う。二位が「平」,三位が「終」とあるが,一年を通して(と今日時点で想定されている)
平成最後の年という意味では,二位,三位の漢字の方が,この年をより特徴付けるものに思う。
「平」は「平成最後」,「平昌冬季五輪」,南北首脳会談,米朝首脳会談開催で何とか「平和」を維持しようという動き,フィギュアスケートでは新星「紀平」選手が躍動。
「終」は,一時代の終わりを告げるかのように,西城秀樹が亡くなり,安室奈美恵が歌手引退。貴乃花親方もまさかの日本相撲協会から引退,角界から完全に去ってしまった。日産のゴーンCEO逮捕も一時代の終焉を感じる。

そもそも、今年の漢字を「一文字だけ」で表すこと自体、無理があろう。その一年を通じて人々が感じたことは個人によって違うし、また、1人の中でもその時点時点で思うこともそれぞれだ。今年は自然災害が多かったのは事実だが、それだけではない。中には今年恵まれた一年、幸せな一年だった人もそれなりにいるはずだ。なのに、今年の漢字が「災」では、そのような人々を冒涜することにならないかとふと思うものである。

※ 

このブログも今後のことを考えると,このまま継続してもいいものかどうかなかなか悩ましいところである。どうもこのところ書こうというエネルギーがなかなか持てなくなってきている。

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