矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

タグ:技術

昨日,2013年2月1日は,NHKがテレビ放送を開始してちょうど60年だったそうだ。
テレビが日本に登場して以来,テレビはいろいろ批判・非難を受けながらも,日本人の文化・娯楽の中心に居続けたといっても言い過ぎではないと思う。

しかし,インターネット,携帯電話,スマートフォンの普及で,テレビの視聴率が全体的に落ちているのは事実だ。広告収入も一時期に比べてずいぶん減り,テレビ局はどこも,いかに安いお金で効率的に,視聴率の取れる番組作りをするかに四苦八苦しているようである。その影響もあるか,明らかに番組の内容は,昔よりさらに平均化され,個性的で斬新な,本当に興味深い面白い番組は減っているというのが偽らざる感想である。

私が幼少時のときは,テレビを見ると馬鹿になる,といわれ,テレビを見るくらいなら外で遊べ,勉強しろ,本を読め,といわれてきたものである。それはある意味あたっている部分もあるだろうが,テレビも,見方によってはいろいろ勉強になることも多いのではと,最近思うのである。

こどもの頃は,ただ画面から流れてくるものをそのまま受け止めて終わりだったが,いろいろな経験を経ておとなとなった今,あらためてテレビを見ると,いろいろ気づくことも多い。
テレビに映る画面から,作り手のこだわりや意思を感じ取ることもできるし,そこからいろいろ想像をめぐらすこともできる。テレビに映る人のちょっとした表情から,言葉には表れない思いが感じられることもあるし,なかなか面白い発見があるものである。
そう,あたかも集中して読書するように,テレビも集中してみると,結構有益な材料を多く見つけられるものなのだ。特に,他者に対して分かりやすく説明する技術・スキルは,テレビを見ていると本当に勉強になることが多い。日常の業務にも流用・応用できそうな,特にプレゼンテーションの技術・スキルの宝庫といってもよいと思う。

今はいろいろ多忙になったせいか,テレビは集中して見られる存在から,何かをするついでも見られる「ながら視聴」が増えているようでもある。「ながら視聴」がふさわしいような内容の薄い番組も多いのは事実かもしれないが,その中でも,集中してみていると,いろいろ発見があり,学ぶこともあるのではと思う。

ブログネタ
福島第一原発 放射能 に参加中!
今日はあの「タイタニック号」が沈没してちょうど100年。
当時の最先端の技術を結集して製造された超大型客船が,処女航海で沈没し,約1500人もの犠牲者を出すとはそのとき,誰も想像だにしなかっただろう。
これだけの犠牲者が出た背景には,技術への過信と,そこからくる油断による救命設備の不備があったといわれている。この悲劇を教訓に,更なる造船技術の発展や安全思想の進化があり,同様の規模の船舶事故は起きてない。

一方,現代の日本。福島第一原子力発電所事故から400日あまり。
40年あまり前の時点での最先端の技術を結集して設立された発電所が,地震と津波で崩壊し,未だに無数の人間に不安を与え続けている。
これだけの影響を与えてしまった背景には,技術への過信と,そこからくる油断による安全装置の不備があったことは間違いない。この事故を教訓に,更なる原子力技術の発展や安全思想の進化・・・?同様の規模の原子力発電所事故は起こらない・・・?

「タイタニック号」は様々なストーリーがあり,八十余年後には大ヒット映画まで生ませた。
「福島第一原子力事故」は果たしてどのようなストーリーがあり,数十年後に大ヒット映画をもたらすことがあるのだろうか・・・?

昨日で東日本大震災から一年が経過した。今日は,福島第一原発で爆発があって一年。
あの日以来,原子力技術者に対する信用は崩壊し,世間からリンチに等しい扱いを受けている。
マグニチュード9レベルの巨大地震を予測できなかったことについて,地震学者も批判の矢面に晒されている。

しかし,科学者・技術者を叩くことで,一時的なストレスの発散にはなるかもしれないが,中長期的には何も産み出さない。却って彼らが委縮し,これから本当に必要な科学・技術上の発展が阻害され,我々にとって真に有益な知的財産を得るきっかけを失ってしまうことになるのではと危惧する。

もともと,科学・技術それ自体は中立的なものである。人間にとって有益かどうか害毒があるかどうかというのは,人間自身の受け取り方次第なのかもしれない。科学・技術そのものの発展・進化を罪悪視するのは間違いではないか。そもそも,科学・技術はいわれているほど発展・進化しているのであろうか。まだまだ現時点で分かっているもの,発見・実現されているものは,これから先発見・実現されているもののうちほんの氷山の一角なのかもしれない。そもそも科学・技術の限界はあるのかないのか,あるとしたらどこにあるのか,誰も知らない。

罪悪は人間自身にあるのだ。人間が,目先の快楽や不要な欲望に惑わされ,事実・真実を誠実に把握せず,自己の都合の良いように解釈し,科学・技術を間違った方向で使用していることに原因があるのだ。
(その人間の中でも,科学・技術に直接関わっている人間は逆に,事実・真実の前に謙虚な性格の持ち主が多い気がする。)
むしろ,科学・技術に直接関わらない人間の中に,無知を恥じず,傲慢不遜で軽薄・不誠実な人間が多いような気がする。このような人間が往々にして社会的地位が上で権力を持っているものだから,科学・技術上の事実・真実を無視し,表面的な数字・印象のみ気にして,誤った判断をし,組織を力づくで動かそうとしているのだから厄介である。

大震災から一年。一時の感情に流されず,今,冷静に事実・真実を見極め,科学・技術およびそれに携わる人々への正しい評価をすべきときである。

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