矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

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パイロットが飲酒した状態で飛行機を操縦していた報道があった。
飲酒運転は厳罰化され,以前よりはかなり飲酒運転の事故は減ってきたが,まさかパイロットが,乗務前に飲酒して酩酊状態で操縦していたとは。飛行機の操縦ってそんなに簡単で容易なのか?それなら,タクシーやバスの運転手よりも高給をもらっている意味はないだろう。
まぁ,よく今まで飲酒が原因の墜落事故など発生せずにいたものだ。それだけ飛行機の安全対策の技術が向上したということなのだろうが・・・パイロットの質が低下しているのではないか。しかも,過去に比べ世界的に飛行機の数は激増し,パイロット不足が心配されているこの頃。何なら私も今からでもパイロットを目指そうか・・・は冗談だが。

それにしても,酒。性暴力の加害者等が,「酒に酔って覚えてない」というセリフをよく吐くが。酒のせいにするのは違うだろう。加害者自身が,酒を飲まなければ良い話。酒を飲まないと素が出せないというのも,考えようによっては何とも勇気のない意気地なしの弱い人間だと白状しているようなものだ。弱さをもつのは人間だれしもそうだが,その弱さを直視せず,酒に逃げてしまうのは人間として何とも恥ずかしいことに思うが。

「酒が飲める」「酒に強い」ことをことさら高評価する風潮もどうなのかとも思う。体質的に酒を受け付けない人も現にいるし,彼らがうっかり酒を飲んで,重体になったり死に至ってしまったら誰がどう責任を取るのか。だいたい,酒に強いことだけで伝記になった人はいない。酒に強いことだけでギネスブックに載った人も,私の知る限りはない。
あくまでも酒は嗜好品であり,飲めなくてもいいものであるし,飲まなくてもいいものだ。飲めた方が多少人生は楽しめるかもしれないが,それだけのことだ。

これから忘年会の季節もぼちぼち始まる。アルコールハラスメントの加害者にも被害者にもならないよう,注意していきたいものである。

「みんな」がいいというもの。
「みんな」がすばらしいと思うもの。
「みんな」が大切だと思っているもの。

・・・それが本当にいいものか?
   本当にすばらしいものか?
   本当に大切なものか?

本当にいいもの,
本当にすばらしいもの,
本当に大切なものは,

「みんな」が見落としているところに
実はあることが結構ある。

自分がいいと思うもの,すばらしいと思うもの,大切だと思っているものが,
「みんな」と違うからといって,あわてたり落ち込んだりする必要はない。
それこそが個性であり,ゆくゆくは自分自身の強みになっていく。
そして,場合によっては,あとで
「みんな」がいい,すばらしい,大切だ,
と評価してくれることもある。

だから,「みんな」に負けず,
自分自身を大切に生きていってほしいものだ。


今夏の高校野球が終わって早六日。全参加チーム3800余り,そして各予選を勝ち抜いた49チームの中で優勝旗にたどり着けるのはわずか1チームのみ。
勝負の世界はある意味残酷である。しかし勝負に敗れたからといって,すべて無になるかというと,それは違うとも思う。同じ負けでも,内容のある負けと内容のない負けがある。
持てる力をすべて出し切っても,ルール内で許されることをすべてやりつくしても運がなかったり,もともとの,どうしようもないポテンシャルの違いで惜しくも負けたのか。
あるいは,油断したりうっかりしていて,勝てる試合をみすみす落としたのか。考えることをせず無策のままであっけなく敗れたのか。
同じ負けという結果であったとしても,細かく内容を見れば,この両者の違いは明確である。それを,勝負に負けたという表面的な結果だけで安易な評価をしてはいけない。
それは,勝った場合でも同じことがいえる。内容のある勝ちと内容のない勝ちがある。

これは,スポーツのみならず,日々の我々の仕事や,あるいはもっとスケールの大きい話でいえば,政治・軍事・経済の世界でもいえることだろう。
対して難易度の高くない課題で勝ちを積み重ねて慢心していないか。難易度の高い課題に果敢に挑戦して敗退を重ねて,不要に落ち込んだりしていないか。
他者の勝負の結果を表面的に判断して,誤った評価を下していないか。

単なる勝ち負けだけを見るのではなく,もう一段深堀りして分析した上でより正当な判断をするように心がけたいものだ。その意味では,成功者の成功談ばかりを追いかけるのではなく,むしろ失敗を犯した人の反省・分析の方が学ぶものが多いように感じる。

このことを自身の心に刻み,もう少し自分自身,新しい物事,それも難易度が若干高めの物事に果敢に挑戦する気構えを持ちたいものである。ただ,無謀な挑戦で心身を危険にさらすようなことだけは避けたいものだが。

通常国会は今週会期末を迎える。「共謀罪法案」「加計学園問題」その他で大揉めで,果たして今週末がどうなるか,皆目見当がつかないが。

ところで,国会や内閣の評価する指標として,法案成立数,あるいは法案成立率というものがある。国会に提出された法案のうち,審議を得て可決・成立する数,あるいは成立する割合のことを指す。一般にはこの数字が高い程,その国会や内閣の評価が高くなる。らしい。
確かに,限られた時間や費用の中で,多くの法案が,低コストで円滑に成立すれば,費用対効果の面では評価が高くなるのは分かる。しかし,問題はその中身であり,成立した法律がずさんで,国民生活に多大な悪影響を与えるものであっては,成立すること自体が害悪であり,廃案・不成立にすることの方が評価を高くすべきものであろう。単に成立した法案の数や,成立率を評価基軸にするのは無意味どころか,非常にまずいのではないか。

また,今問題になっている「共謀罪法案」にしても,審議にかけた時間の量だけで判断されているが,問題はかけた時間の量ではなく,審議の中身であろう。審議した項目の数やその質こそが問題であり。時間をかけてもその審議した項目が少なかったり,新たな問題が出てきて,議論が深まらず,多くの人が納得いかない法案のままであったら,かかった時間の長短にかかわらず,法案を廃案とするか,継続審議とすべきだろう。かけた時間だけを評価基軸にするのは無意味どころか,非常にまずい。

だいたい,「働き方改革」を進めている現内閣,この件では言行不一致ではないか。仕事にかける時間より仕事の質が問題なのであれば,内閣自身が率先して模範を示すべきだろう。本当に今の与党・内閣は信用ならない。その一番の原因は,現総理大臣の国民に対する日頃の態度にある。猛省を願う。

現総理大臣は「責任」という言葉をよく使うが,彼のいう「責任」は,普通の一般常識を持つ日本国民の認識している「責任」と意味が違う。彼の使う「責任」という言葉は,「権限」という言葉の意味として誤用している。そのことを誰か彼に近しい人は指摘しないのか,それとも彼と同等の国語力しかない人しか彼の周りにはいないのか。そんなに我が国の人材は枯渇しているのか。

「結果ばかり気にするな。過程こそが大事」
とはよく言われる言葉である。
過程があるからこその結果であり,結果ばかりを求められると,望ましい結果をいかに効率よく得られるかに腐心し,場合によっては不正に手を染める動機となることもある。
過程も併せて正当に評価されることで,落ち着いて結果を出すための日々の業務に取り組むこともできるというものである。

しかし,「過程こそが大事」という人に限って,さらにその過程の途中経過を「目の前の結果」として見たがり,その「目の前の結果」が望ましくないと騒ぎ立てるから困ったものである。
「目の前の結果」で面倒な思いをしたくないために,また更に望ましい「目の前の結果」をいかに効率よく出せるかに腐心し,場合によってはさらなる不正に手を染めるモチベーションを高めることになる。
その結果,どうなるか。
結果を出しやすい物事にしかみんな注力しなくなり,その裏で本当にすべき,目には見えないけれど大切な物事がおざなりになってしまう。

明日は私の誕生日。40代も半ばを過ぎてくると,誕生日を喜びを持って迎える気分でもなくなってくる。
昔の人で40代半ばあたりといえば,もう人生の総決算を考えるころ。過去の偉人を見ると,40代ではそれなりの業績を残していたり,あるいはこれから残そうとしていたりする年齢である。彼らと比べると,自分の今の状態は
残すに値するものが無に等しい。
偉人と比べるからいけないのかもしれないが,かつて自分がこどもだったり,あるいは若かりし頃に考えていた40代半ばの人間は,もっと社会的立場が高かったり,豊かな体験と確かな判断力があり,しっかりした大人であった。それと比べると自分の今の状態はあまりに未熟だ。
このままでいいのか,悩むこの頃である。

・・・しかし,一方で,こうも考える。
目に見えやすい評価,数字などで理解しやすい業績には恵まれなくとも,目に見えない,数字では表せない部分で,自分の意図しないところでいろいろ多くの経験をし,学び,成長しているのかもしれない。そして,自分では気づかないところで,他人に何らかの恵みや喜びを与えているのかもしれない。そのことで,自分の知らないところで,周囲の人々に感謝されている部分もあるのかもしれない。

そう考えると,今までの人生もまんざら捨てたものでもないし,生かされていること,日々の恵みに感謝する気持ちも自然に芽生えてくる。

上記の「目に見えやすい〜」以下の段落は,実は配偶者から言われたセリフであり,こどもからは「パパはひゃくてんだよ」と言われた。
自分に与えられた価値を十分生かし切っているかどうかはとても心もとないけれども,そのような私を慕い支え愛してくれている家族がいることは本当に嬉しいことである。

勇気を持って,今年の誕生日も迎えたいものである。

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