矢口十思夫の平成後期徒然よろずほぼ半旬記

身の周りの出来事から日本・世界のニュースまで、感じたこと、考えたことを自分の思ったまま率直に記すエッセイ/コラム。 2018年の更新頻度は不規則も,平均では5日に一度の頻度を維持予定。

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通常国会は今週会期末を迎える。「共謀罪法案」「加計学園問題」その他で大揉めで,果たして今週末がどうなるか,皆目見当がつかないが。

ところで,国会や内閣の評価する指標として,法案成立数,あるいは法案成立率というものがある。国会に提出された法案のうち,審議を得て可決・成立する数,あるいは成立する割合のことを指す。一般にはこの数字が高い程,その国会や内閣の評価が高くなる。らしい。
確かに,限られた時間や費用の中で,多くの法案が,低コストで円滑に成立すれば,費用対効果の面では評価が高くなるのは分かる。しかし,問題はその中身であり,成立した法律がずさんで,国民生活に多大な悪影響を与えるものであっては,成立すること自体が害悪であり,廃案・不成立にすることの方が評価を高くすべきものであろう。単に成立した法案の数や,成立率を評価基軸にするのは無意味どころか,非常にまずいのではないか。

また,今問題になっている「共謀罪法案」にしても,審議にかけた時間の量だけで判断されているが,問題はかけた時間の量ではなく,審議の中身であろう。審議した項目の数やその質こそが問題であり。時間をかけてもその審議した項目が少なかったり,新たな問題が出てきて,議論が深まらず,多くの人が納得いかない法案のままであったら,かかった時間の長短にかかわらず,法案を廃案とするか,継続審議とすべきだろう。かけた時間だけを評価基軸にするのは無意味どころか,非常にまずい。

だいたい,「働き方改革」を進めている現内閣,この件では言行不一致ではないか。仕事にかける時間より仕事の質が問題なのであれば,内閣自身が率先して模範を示すべきだろう。本当に今の与党・内閣は信用ならない。その一番の原因は,現総理大臣の国民に対する日頃の態度にある。猛省を願う。

現総理大臣は「責任」という言葉をよく使うが,彼のいう「責任」は,普通の一般常識を持つ日本国民の認識している「責任」と意味が違う。彼の使う「責任」という言葉は,「権限」という言葉の意味として誤用している。そのことを誰か彼に近しい人は指摘しないのか,それとも彼と同等の国語力しかない人しか彼の周りにはいないのか。そんなに我が国の人材は枯渇しているのか。

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振り込め詐欺の被害の報道があると、決まって
「詐欺に引っかかる方が悪い」という意見をいう人がいる。
振り込め詐欺のみならず、他の詐欺や、詐欺のみならず、いじめ、暴力など、あらゆる事件事故で、被害者側の落ち度、責任をいう人は少なくない。

しかし、ケースバイケースではあるが、どのような事件事故も、第一に悪いのは加害者であるはずだ。加害者の行動がなければ、被害者も出ない。被害者の落ち度をいう前に、加害者の責任・罪を厳しく問うのが当然だろう。被害者を責めるのは、ただでさえ被害に遭って心身ともに弱っている人々を更に追い詰める、一種のいじめではないか。被害者が必要なのは、非難ではなく、慰めといたわり、そして今後の道標であるはずだ。

しかし、もっと厄介なのは、本当は加害者なのに、被害者のような立場をとる輩も少なからず存在することだ。被害者を装い、加害者として償うべき罪から逃げようとしている彼らには、その考えを改めさせ、相応の償いをさせなければならない。そのためには、加害者と被害者、加害の責務の範囲をしっかり峻別しなければならない。いっときの感情や、早とちりで、誤った判断をすると、被害者の傷は更に深くなり、加害者は反省せずまた新たな過ちを繰り返すことになる。

…しかし、巨人軍現監督の、あのスキャンダルは、誰が加害者で誰が被害者か、そして本当に悪いのは誰か、さっぱり分からない…

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「何かあったら君が責任取れよ」
「こどもの養育は親の責任」
「あなたをこのプロジェクトの責任者に任命する」
「試合に負けたのは監督の責任だ」
・・・「責任」という日本語は,重く,厳しい響きを持つ。

手元の辞書で「責任」の意味を調べてみた。
1.任されていて,しなければならない務め
2.ある行為の結果として負わなければならない責めや償い
このとおり,2通りの意味があるが,どうも日常では,2.の意味に使われることが多いように感じる。
何か不都合や不具合があったときに制裁を受けるという損なイメージを持つ。

英語では「責任」は普通,responsibilityと訳される。
この言葉,分解すると,response とabilityに分けられる。つまりは「応答能力」である。
代表して応答する高い能力がある,という前向きで力強い雰囲気がある。

リーダーシップの欠如が言われる日本社会であるが,「責任」と"responsibility"の語感の違いもその要因の一つにあるのかもしれない。
何か問題が発生したときに代表して制裁を受ける損な「責任」,一方で
能力があるからこそそれなりの裁量を任され,自由に物事を運ぶ権限を与えられる"responsibility"。
無能な「責任者」は,有能な部下に代理で「責任」を取らせ,それで表面上「責任」を取った気になっている。そのような無能な「責任者」を選定した上位の更に無能で傲慢な「責任者」の存在価値は何なのだろうか。
どうも「責任」という日本語の言葉の裏には,「いじめ」のにおいがしてならないのは私だけだろうか。

このような調子では,"responsibility"のセンスを持つ組織に,「責任」を内部の立場のより弱い人になすりつけようとしている組織は到底太刀打ちできないのは自明のことである。

「責任」という日本語が出てきたら,気をつけたい。
どんな意味がその言葉に込められているのかを。




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天窓割れ小6男児転落死=学校屋上で算数授業中−柵なし、12m下に、東京・杉並

私が小学校・中学校に通っていたときは,校舎の屋上には絶対登れなかった記憶があるのだが,今は先生が引率して登ることができるとは,時代は変わったものだ。

それにしても,この事故は不運としかいいようがない。天窓のメーカーだって,人が上に乗ることは想定していないだろうし,子どもの立場だと,丸っこく出っ張ったものの上に乗ってみたいという好奇心は持つだろうし,先生だって,何人もの児童を引率して,一人ひとりに注意はなかなか及ばないだろうし・・・。
事故の責任を特定の個人・組織に求めるのは酷すぎる。この件で学校や先生を責めていては,誰も小学校の教諭になりたがらないだろうし,教育を志す人が激減してしまう。
必要なのは,責任を追及することではなく,同様の事故が起きないように万全の対策をすることである。この男児も,学校や先生を責めるのは本望ではないはず。「同様の事故を起こさないようにして欲しい」というメッセージを残してこの世を去ったのだと思う。

(だからといって,過剰に危険を排除するようにしたり,学校内の管理を強化する方向へ走るのも,男児は望んでないはず。我々もこの事件でいたずらに騒がず,静かにしているのがいちばんいいのだと思う。)

<ふじみ野プール事故>「今も納得できない」…両親

吸水口に吸い込まれてしまった被害者本人の恐怖感、突然娘を失った両親の気持ちを思うと、本当にいたたまれない。自分の娘がこのような目にあってしまったら、そのときの心痛と怒りはどうなるだろうか。

と同時に、当時の責任者だった人も、かなり気の毒な気もする。前任者達の不手際の積み重ねが、たまたまそのとき当事者だった人で顕になってしまったという見方もできる。最も、本人達も前任者にならうだけでなく、本人なりにもう少し想像力と責任感を持って業務にあたり、危機を事前に把握して対処していればよかったのだが。

そもそも、役所は人事のローテーションが早すぎる。複数の業務を幅広くこなして知見を広めるためというのもあるだろうが、ややもすると、ひとつの業務に当たる時間が限られてくるため、どうしても責任感・当事者意識の欠如が出てくる可能性は否定できないと思う。責任感や当事者意識を持たせるためには、その職務にふさわしい人間を、もっと長い期間担当させるべきではないか。そして、危機を未然に防ぐ行為をもっと積極的に評価する人事考査の仕組みを作るべきだと思う。誰の目にも分かる顕著な効果をもたらした業務や、無事故でつつがなくこなした業務に対しては高評価で、目には見えないものの、損失や危機を未然に防ぐ業務は大した評価をしないでいると、多くの人は目立つ仕事ばかりしたがり、面倒だが大切な仕事を軽視するようになってしまうと思う。いや既になっているのかもしれない。だから電車が信号・車両故障で簡単に止まってしまったり、遊園地のジェットコースターが走行中壊れたり、テレビの画面に堂々と誤字が出されたりするのだろうか。

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